ミニマリストと文章を書くライターは、似ていると私は考えています。それはなぜか。“どちらも削ることで伝えるべき本質が見えてくるから”です。
こんにちは。 ミニマリスト初心者(2ヶ月目突入)のYAITAです。ライター兼ブロガーとして活動しています。騒音などの音に過敏反応してしまう症状“聴覚過敏”を抱え、作業の全てをiPadだけで行うiPad大好き40代オジサンです。
そもそもミニマリストとは何でしょうか。特に定義はされていませんが、一言で表現するなら、“自分に必要なことを強調させるため、あえてモノを少なくする人”です。
一方、ライターとは、情報を文章に翻訳して読み手に“気づき”を与え、行動を促す執筆者と表現できます。
ミニマリストとライター、2つは全く異なりますが、2つを経験した私は共通点があることに気づきました。
ミニマリストとライターの共通点|削ることで本質が見える
ミニマリストとライターの共通点とは、冒頭でお伝えした通り、“どちらも削ることで伝えるべき本質に気づけること”です。
ミニマリスト:本当の自分を強調すること
ミニマリストに強い憧れたのは2022年12月、病院のベッドで読んだ一冊の本と出会ったことでした。
ミニマリズムの本質とは、強調させること。
そのために、ムダとなる部分を削る。
退院以降、モノの取捨選択を含め、まず“しないこと”を決めた私は行動を実行しています。
- 服装選びをしない(私服の制服化)
- ストレスを溜め込まない(ストレスフリー)
- 運転をしない(徒歩生活)
- 交友関係を築かない(ひとりを優先する)
- 時間泥棒になることはしない
また、介護が必要だった実母の施設入居が決まり、日中はひとりでいられる自由な時間を得ました。2023年3月、5年に及ぶ介護生活を終えた私は、自分自身の心に向き合える時間を得ます。
私が本当にやりたいことは、とてもシンプル。
“ブログを書き続けること”です。
私にとってブログとは、“自身の経験から得た情報を発信(アップデート)し、生産する手段。また、情報を共有する場所であり、自身に気づく場所でもあると考えます。更新が止まっては、生産工場がストップすると同じです。
すなわち、生活のムダな部分を削ったことで、時間の余白を得ています。
ライター:情報を正しく伝えるには、ムダな部分を削ること
ライターは、“声から発する言葉を文章に変える翻訳者である”と、私は考えています。ブロガーを目指した際、最初に読んだ本から学んだことです。
情報を伝える側の身として重要視しているのは、下記の部分です。
文章を書く本質とは
よりコンパクトに、より分かりやすく情報を伝えること。
そして読み手に気づきや納得を与え、行動を促す。
例えば、探していた情報が書いてありそうな記事を見つけたけど、思っていた内容ではなかった…。他にも、情報がうまく伝わってこず、何だか読みづらい文章だった…といった経験はないでしょうか。
情報が正しく伝えられていないため、情報を誤って認識される、または理解を得られないケースはあります。
私もまだまだ浅学非才の身。当ブログで感じられたのなら、私の精進が足りていない証拠です。
特にWebライティングでは、“分かりやすい文章を書くライティングスキル”が大変重視されます。読みづらい・読みにくい・内容が伝わりにくいと判断された記事は、即座に閉じられるからです。
すなわち、よりコンパクトに、より分かりやすい文書にするには、ムダな情報を削る必要があります。その方法は、推敲を繰り返すことです。
推敲(すいこう)とは、自分の書いた文章を読み直し、誤字脱字やロジック、文章のリズムなど「この文章で大丈夫か?」を自問自答していくプロセスです。ライター・ブロガーにとっては必須と言えます。
これから文章に携わることをしていきたいと考えている人は、こちらの本もおすすめです。
ムダなモノを手放し、必要なモノを強調させるミニマリスト。情報を正しく伝えるため、よりコンパクトな文章を書き、ムダな部分を削っていくライター。
ミニマリズムな生活を送りつつブログを書いている時、ふと「なんだか似ているな…」と感じたんです。
あなたはどう感じたでしょうか。
ライターはミニマリストに必ず向いているワケではない
ここで伝えておきたいのは、ライターが必ずミニマリストに向いているワケではありません。私が偶然ミニマリズムの思想に適していただけです。
「ライターはミニマリストになるべきだ」
「ミニマリストはライターに向いている」
と断言しているワケではありません。
ライターやミニマリスト、それぞれ異なりますし、人それぞれ趣味趣向も異なります。
では、なぜミニマリストブログは多いのでしょうか。情報の発信が、生産につながることに気づき、行動しているからです。
書き記事にて解説しています。
【ブログとは?】今更だけどブログって何?|文章を書くことで自分に気づく
日常の気づきに自身が気づくこと
私はこの記事で、“気づき”というワードを複数使用してきました。
私達の日常に変化や喜び、感動をプラスするには、何かに気づくことが必要です。友人や恋人との楽しいひと時、美味しい料理を目にした時、または美しい景色を見た時、その気づきをシェアしたいとSNSに投稿した人は多くいるでしょう。
あなたにも経験はないでしょうか。
ところが、“気づき”はあなたにとって嫌なことも伝えます。悲しみ、妬み、寂しさ、失望。その日は何もできなくなるほどショックを受けた経験を持つ人もいるでしょう。
そのショックがコンプレックスやトラウマとなり、心の一部を閉ざしてしまう原因になるかもしれません。
私は昨年11月末、心を壊し、現在も治療を受けています。
あなたに必要なことは、あなた自身が1番知っているはずです。もし「私に趣味はない」や「好きなことがない」のなら、今はまだ気づけていないのかもしれません。
大切なのは“気づく”ということ。周囲の変化や自分自身の考え、想いに耳を傾ける“きっかけ”とも言えます。
おすすめなのが散歩です。
歩くことで頭の思考を整理しやすく、周囲の景色や変化、何気ない発見からアイデアに繋がるケースがあります。私は毎日歩くことを習慣化し、自分自身と向き合う時間を作ったことで、ブログを毎日書けるにまで回復しました。
そもそもは、医師に「運動しなさい」と言われたことがきっかけですが、最近では1日10,000歩を目安に歩いています。
ウォーキングは、最も簡単でミニマリズムなエクササイズです。気分転換にもなりますし、さらにインプットの時間にもなり得ます。
ストレス発散や思考の整理にはうってつけの方法です。
ただ、いきなり10,000歩は大変な労力となります。まずは、近くの公園などを散歩してみたり、いつもと違う道で帰ってみたりなど、いつもの違うルートで帰ってみてはいかがでしょうか。
その行動があなたに気づきを与え、あなたの考えを変えるきっかけになるかもしれません。
今回は以上です。