【プロフ】親の介護で疲れ果てた私が人として終わりかけた時に出会ったモノ

1つ間違えていたら、今頃私は牢獄の中にいたでしょう。
助けてくれた人達、日々支えてくれる妻に感謝しかありません。
当ブログをご覧下さりありがとうございます。
ライター兼ブロガーの私が、日々の生活から「なるほど!知れて良かった・参考になった」といった情報の発信。自身のライティングスキル向上を目的として2019年に立ち上げました。
主なコンテンツは下記です(今後追加予定のコンテンツも含みます)。
- iPadなどオススメのガジェット・アプリ
- ライフハック
- WordPressで困った体験談
- 聴覚過敏・ストレス対策
- 食事・健康・ウォーキング
- ミニマリスト
- 投資(投資歴3年ほど)
当ブログに掲載されている記事は、私が実際に経験したことを元に書いています。すなわち“私の体験談”です。
読まれた記事から、1つでも「問題を解決できた」や「なるほど!知れて良かった」といった結果となれば、1人のライターとしてこれほど嬉しいことはありません。
申し遅れました。Webライター兼ブロガーとして活動しているYAITAと申します。既婚者ですが、子供はいません。
好きなものはApple製品などのガジェットで、特にiPadが大好きです。当ブログは、iPadのみで作成しています。コミュ障でもあり、基本家から出ません。最近になって、ようやく“運動”を目的としてウォーキング(10,000歩)を習慣にしました。
※医師から「運動しなさい・歩きなさい」と言われたもので…。
私の家族は妻と、治療16年目を迎えたパーキンソン病の母がいます。介護度は最も重たい“要介護5”で、生活のほぼ全てが介助無しでは行えません。よって、家で介助しながら働ける環境を手に入れるべく、仕事を辞めてライターへの道を選びました。
当然ながら生活は一変し収入は激減。尚且つライティング経験や執筆経験ゼロの状態からのスタートです。必死に勉強してライティング経験を積み、執筆業に従事。
同時並行でスタートしたブログ収益も相まって、ある程度まとまった収益を得られるようになりました。ただ、記名記事は無いため、無名ライターなのが現状です。
ですが、“名の知れたライター・ブロガーになりたい”とは思っておりません。自身で生活する最低限の収益を得られれば、それ以上は要らないという考えです。
これまで、共にお仕事できた全てのクライアント様に感謝しています。
なお、現在は自身の治療と休養に専念したいため、仕事のご依頼は受け付けておりません。ランサーズの活動も休止しています。
人として終わりかけた

ある日の食事中、“長期の介護生活に疲れた夫が妻を殺害した”というニュースを観ていた時、ふと妻に呟きました。
「夫の気持ちが良くわかる。このままじゃ…いつか私も、親に手をかけるかもしれない。もし、現実となったその時は…離婚してほしい」
妻は「大丈夫。そんなことさせないから」と。
まるで、ドラマでありそうな1シーン。
それだけ、日々の介護生活に疲れ切っていました。現在治療中の身ではありますが、当時を思い出すと、今でも画面が潤んで見えなくなるほどです。
今現在も、家族の介護に尽くしている人達は沢山いるでしょう。楽な介護なんてありません。大変さは身にしみて分かっているつもりです。どうか、どうか無理をしないで下さい。
仕事やブログ更新の休止
身体的にも精神的にも限界を超え、仕事の納期すら危うくなり、複数あるブログ更新も休止。ストレスは悪化するばかり。
また、ZOOM会議中でも、親からの呼び出しは容赦なくあります。それ以降、連絡が取れないクライアントもありました。
働きたくても、落ち着いて働ける環境じゃありませんでした。それでも、働くしかない。でもまともに働けない。この悪循環が、私の心を蝕んでいきます。
DBS手術を行うも1年後に取り出す
2020年夏、医師の勧めで母のDBS手術をしました。
私が住んでいる近くの地域に、パーキンソン病に詳しい医師がいてくれて幸いでした。
手術は無事成功し、母の病状は大幅に改善しました。今後はリハビリを続けていけば、自分1人で歩ける環境も見込めるレベルで、私も一安心。
しかし、1年後の2021年秋、電極を取り出す手術を行いました。母が手術でできた傷跡を掻き毟ったことで傷口が開き、頭の中に入った電極が今にも飛び出そうとした状態になっていたからです。
頭から電極の配線が見えていました。サイボーグというか“未知なるモノ”を見てる感覚です。慌てて病院に連絡し、医師から「即入院して下さい」との声に愕然。
「また入院なん…?なんでこうなるん…もうイヤぁ」と号泣する母を、ただ慰めることしかできませんでした。
医師の話では、体内に入ったモノを身体が“異物”と判断すると、強引に外へ押し出そうとするんだとか。
「身体が一度遺物と判断したものは、もう全部取り出すしかない」と。
緊急入院してDBSを取り出す手術は無事終了。ですが、DBS手術前に病状が戻ったのは言うまでもありません。
担当医曰く「DBSの再手術は体力的にも難しく、前回と同様の効果が得られる保証は無い」「そもそも入れたDBSを抜く事自体が珍しく、数多い手術の中でも今回で2例目だ」と。
どうして母に限って…と嘆いたものです。
増えていく診察券
同じことを何度説明しても、年老いた母には理解できません。本能のままに行動して介護ベッドから落ち腰椎圧迫骨折。
この骨折から介護の負担がさらに増え、せん妄が激しくなっていきました。
整形外科医師からは「重度の骨粗鬆症です。パーキンソン病なので身体を頻繁には動かさないでしょうが、絶対安静にして下さい」と言われ、コルセットで体を固定。
しかし、コルセットを付けた状態でさえも、動かない体を動かそうとし、体のどこかを怪我します。その度に検査のため通院。
排泄も1人ではできません。紙オムツが続いたからか膀胱炎が悪化。泌尿器科に通院すると「慢性的な膀胱炎です。症状は抑えられても完治は難しいですね…」と医師からの発言にため息。
摘便も私がします。パーキンソン病の影響で、腸がまともに機能(蠕動運動)しにくいからです。もともと便秘持ちだったことも相まって、トイレの度にある意味戦場と化します。
もちろん、私には介護に関する資格がありません。けれど、やるしかないんです。
悪いのは病気であり本人ではない
パーキンソン病に関する書籍は沢山あり、私も勉強のためにいくつか読みました。
概ね“楽しい日々を送るため、ポジティブに接してあげましょう”といった内容が多く、発症から10年〜15年未満の患者に関する情報ばかりでした。
「15年目以降はどうすればいい…?」「15年以降は諦めろってこと…?」
せん妄によって暴れ、その場しのぎの嘘をつき、私が見ていない隙に外出しようとする母。
体は痩せ細り、普通のマットレスでは痛みを訴えるため、医療機関でも使用する床ずれ防止用エアマットレスを準備。それでも踵を浮かせるようにタオルで調整しないと、エアマットレスでさえ痛みを訴える始末。
本に書かれた理想に対し、かけ離れすぎた現実。
ポジティブな気分には、到底なれませんでした。
“難病”に指定されているパーキンソン病は現代医学で治せず、介助しかできない無力な自分に腹が立つのも相まって、イライラする生活が続きます。
怒鳴るのが日常茶飯事
母を毎日のように怒鳴ることしか自分を保てませんでした。
「迷惑かけてごめんね。もうしないから、これから気をつけるから」と言うものの、翌日には同じことを繰り返す母。その度に「ごめんね。もうしないから」の謝罪が、逆に私を逆撫でする状態でした。
日々の介助要請は24時間関係ありません。「明日は何曜日や?」「テレビのリモコンどこや?」といった内容の質問をするためだけに、深夜起こされるケースも多々あります。昼夜問わず私を呼ぶ母に怯え、ストレスから寝れない日々が続きました。
もう、母の声を聞くだけでイライラしていました。次第には、支えてくれる妻にも怒鳴り出す始末。
朝を迎える度「また嫌な一日が始まる…」と朝日を見るのが怖くなるほどです。
毎日が、ただただ絶望でした。
変なプライド
担当のケアマネ(ケアマネージャー)さんから「ご兄弟に相談してみては」との提案を受けたことがあります。女3人男1人の4人兄弟で、私は長男。
長男としてのプライドもあったかもしれませんが、兄弟にも家庭やそれぞれの都合がありますし、特に、私と同じ思いをさせたくありませんでした。他にも、私が介護を担当するまでは、妹が担当してくれていたこともあって、申し訳ない気持ちがあったんです。
また、デイサービスを週3で利用していましたが、ショートステイの追加も提案されています。ですが、断っていました。
「そんな1日の休暇で私や妻の疲労を回復できる状況じゃないし、そんな金を出す位なら、母に美味しい物を食べさせた方がマシだ」と考えていたからです。
意識を失い入院
2022年11月下旬、“せん妄”によって暴れる母に限界を超えた私は、悲鳴を上げつつ号泣。それから数日の記憶が断片的にしかありません。
妻曰く、意識はあるが視点は合わず、呼びかけに応じずピクリとも動かなかった。別人のような顔つきになっていた。慌てて救急車を呼ぼうとしたら「呼ぶな」と言っていたとか。
仕事から帰ってくる妻の顔を見るたび、ただただ泣いていた記憶が断片的にあります。体は動かせず、声も出せず、謝ることもできず、ただ目から涙が溢れ出ていました。
また、聞こえる音に異変を感じだしたのもこの頃です。
※その後、聴覚過敏と診断されます。聴覚過敏とは、特定の音に対して過剰反応を起こす症状。もっとザックリ言うと、何気ない生活音が耐え難い騒音に聞こえてしまう状態です。
結局、私は妻に連れられ精神科を受診して入院。母は利用していた介護施設のショートステイサービスを活用後、レスパイト入院しました。
妻とケアマネさんの計らいで、私と母の距離を一時的に離してくれたんです。
後から聞いた話ですが、「親に手をかけるかもしれない」と妻に呟いた時以降、妻が裏でショートステイやレスパイトケアの手続きをしてくれてました。私が倒れた時にも、私の兄妹に連絡をし、たった1人で私と母の介助をしてくれました。
私の姉から「泣きながら電話してきたで驚いたわ」の言葉に、感謝と謝罪の気持ちでいっぱいです。妻には頭が上がりません。
圧倒的解放感

精神科病棟に入院した私は、ベットから外の景色を眺めるだけの日々。検温や問診、食事の時以外、ただただ外の景色を眺めているだけでした。でも、それが本当に至福の時間だったのを覚えています。
人生観を変えた1冊の本

入院生活にも慣れてきたある日、本を読もうと持参していたiPadでKindleを立ち上げ、何気なく探したところ、1冊の本に出会いました。
「手放す練習」
ムダに消耗しない取捨選択
-ミニマリスト しぶ-
ミニマリストしぶさんの“ミニマリスト解説本”です。著者自身がミニマリストになったきっかけやメリット、取捨選択の方法を、根拠も含めて詳しく解説してくれています。
人生を豊かにするため大手企業に就職して懸命に働き、有名な住宅街に立派な家を建て、高級車に乗り、優雅な人生を過ごす。お金や生活に困らず、華やかな人生を理想とする人は多いでしょう。私もそうでした。
ですが、本書は真逆を攻めています。
自分が必要とする最小限のモノだけあれば生活は可能だ。モノを減らすことで空間に余白ができ、時間や精神的にも余裕が生まれる。また、余計な出費が減ることで節約になり、お金も貯まりやすい。部屋は狭い方が掃除や移動も楽だし、むしろ広い部屋より快適だ。
モノに執着してコストやストレスを抱えるより、手放す方がコストやプレッシャーから解放されストレスフリーになる。
時間の余白があれば、手ぶらであれば身軽だし、色々と行動を起こしやすい。“自分が本当にやりたいことをする”ために、弊害となるモノを見極め、手放そう。
といった感じです。
本書に下記の一説があります。
「手放すこと」と「余白を持ち続けること」の徹底が、僕の基礎になっている。
引用元:手放す練習_ムダに消耗しない取捨選択_ミニマリストしぶ_18P
“ミニマリスト”というワードは知っていましたが、思想や目的など詳しいことは知りませんでした。
恥ずかしながら、私は“超”がつくほどの“めんどくさがり“です。家で母を介護しつつ働いているため、掃除や洗濯、家事は基本的に私が担当。ですが、家事が好きな方ではありません。
ただ、私の作業環境周辺だけは綺麗にしていました。自分のテリトリーだけは綺麗じゃないと気が済まない拘りがあるためです。逆に、テリトリー外がどれだけ散らかっていても、あまり気になりません。
一方、妻はテキパキと効率重視で動きますが、普段から多忙なため、片付けるのを後回しにします。これにプラスして母の介助が加わるので、我が家は物で散らかっているのが当たり前でした。キッチンのシンクは常に食器で溢れ、テーブルや床は物で散乱。私が仕事の合間に掃除する(気が向けば)程度といった感じです。
「退院したら、我が家の不要なモノを手放し、生活に余白を持たせよう」
穴が開くほど本書を読み込み、しぶさん含め、ミニマリストに関する情報や思想、愛用しているアイテムにも興味を持ち出しました。
- ミニマリスト活動をして本当に余白が生まれるのか
- ミニマリストが使うアイテムは実際に便利なのか
- ミニマリストの活動は節約に繋がるのか
- モノを減らすことで生活がどう変わるのか
- モノの少ない部屋が本当に快適なのか
- 自分もミニマリストとして活動できるのか
入院前は何もやる気が起きませんでした。ですが、本を読んでからはワクワクした感覚を久々に持てたんです。
聴覚過敏のミニマリスト?

退院後、家にある不要なモノを捨てることから始めました。ただし、ミニマリズムに興味ない妻を巻き込むのは良くないので、私個人のモノや、明らかに要らないモノからです。
これまでに、服や椅子、愛用していたMacBookや Magic Keyboard、iPad Air、観葉植物などを手放しています。服に関してはまだまだ捨てる予定です。
入院前までは“何でもストックしておくべき”と、震災に向けた備蓄も含め色々と貯め込んでいました。そのため、部屋はモノで溢れかえっています。取捨選択スキルを磨きつつ、少しずつ減らしていくつもりです。
また、当ブログ記事でも触れていますが、精神的ストレスが原因で聴覚過敏を抱えてしまい、ほぼ常時イヤープラグ(耳栓)を装着しています。もちろん、執筆中の今もイヤープラグは手放せないアイテムです。
こうして、母の介護をきっかけに、聴覚過敏のミニマリズム信者が誕生しました。
これからも、継続的にブログは更新していきます。私の体験談が、あなたのお役に立てれば大変幸いです。
2023年1月 YAITA