こんにちは、YAITAです。
聴覚過敏を抱え、ミニマリズムと禅の思想、iPadの3つを愛する40代ブロガーとして活動しています。
今回は「ミニマリズムは宗教ではない」がテーマです。
ミニマリズムは宗教ではない。
モノが極端に少ない部屋で過ごすミニマリストを見て、ミニマリズムは宗教やスピリチュアルじみた感覚で受け止められ、揶揄されるケースがあります。
ミニマリズムは1つのライフスタイルであり、宗教ではありません。
モノを手放すことで、維持や執着、管理の手間によるストレスから解放され、自分の好きなことに時間を使える。すなわち、心を豊かにする合理的な考えのもと行っています。
本来やるべきことに集中するため、効率や管理を徹底した結果、モノが洗礼されていったとも言えるでしょう。
世界には様々な宗教があり、私にも信仰する宗教があります。とはいえ、宗教信仰に関係なく、誰にでも始められるのがミニマリズムのメリットです。
「ミニマリストは、必要最小限のモノだけで暮らす人」
というイメージが先行しており、中には本当に窮屈そうな暮らしをしているミニマリストもいます。
モノを手放すのがミニマリストの目的ではなく、自分が本来やりたいことに集中するため、余分なモノを手放すのです。
部屋から不要なモノを手放すことで、本来の時間や幸せを見つけられるきっかけが得られるとミニマリストは知っています。
おもむろに部屋を断捨離していけば、幾分か部屋は綺麗になるでしょう。ですが、「捨てること」を目的とした断捨離は、本来捨てるべきではない大切なモノまで捨てかねません。
もし大事なモノまで捨ててしまえば、それはミニマリズムではなく不幸・不運なだけです。
モノを捨てることがミニマリズムではなく、大事なモノを知り、残すことがミニマリズムです。
だからこそ、自分のライフスタイルに余分なモノやガラクタを手放しています。
大切なモノだけが残された部屋には、何もない空間と、あなただけの時間(余白)ができます。
その時間を自分の好きなことに使い、お金を稼いだり、趣味の時間にしたりして、自分の成長へとつなげるんです。
あなたの身の回りにある余計なモノを手放し、本来の時間や幸せを見つめ直すきっかけにしてはいかがでしょうか。
ミニマリズムは決して理想郷を目指すものではなく、余計なモノを全て手放した途端に人生が激変するとか、お金が舞い込んでくるようなことはありません。
そのようなことがあれば、それこそ宗教的でスピリチュアルです。
けれどミニマリズムは、あなたが本当に大切だと自覚できるモノだけに囲まれ、集中できる環境を整えられます。
それを邪魔するものはありません。なぜなら手放しているから。余計なモノを手放していれば、本来の時間を取り戻すのは比較的容易です。
「本当にやりたいことは別にあるけれど、他の誘惑に負けてしまう…。」
という人も多いでしょう。けれど、これは人間のごく自然な反応であり、あなた自身が問題ではありません。問題なのは、他の誘惑を持っていることです。
もしそのモノが人生の邪魔をするのであれば、その執着を手放すことから始めてみましょう。
世界では様々な宗教の信仰を持つ人々が共に生活しています。宗教の壁はあるものの、ミニマリズムの壁は存在しません。
今というこの一瞬一瞬を、どう生きたいか?
それを考えさせてくれるのが、ミニマリズムだと考えています。