ミニマリズムとお金

こんにちは、YAITAです。

聴覚過敏を抱え、ミニマリズムと禅の思想、iPadの3つを愛する40代ブロガーとして活動しています。

今回は「ミニマリズムとお金」をテーマに書いていきます。

お金持ち≠幸せ

若い頃、“幸せ”というのは“お金持ち”のことと認識し、欲しいものが何でも手に入る状況を心底羨ましがり、お金のために働きました。

お金さえあれば欲しいモノを手に入れ、幸せになれると信じていたからです。

お金を稼いではモノを買い込み、また働く。消費のために働くのが当然の毎日でした。そして、“お金持ちは全員幸せなのだ”と思い込んでいました。

けれど、生活を続けるうちに、お金持ち=全員幸せの定義は違うんじゃないか?という疑問を持ち始めました。

お金持ちの人でも実は不幸だったり、優雅な生活をしてる人が内側では借金まみれだったりと、私の理想とは違う生き方をしている人もいたからです。

勘違いしないでくださいね。

お金に困らない生活を送っている人達全員が不幸だと言っているのではありません。“宝くじを当てた人の大半が不幸になる”と言われているように、お金を持った人が必ずしも幸せになるのではないと気づいたんです。

もちろん、生活のためにお金は必要ですし、一生懸命に働くことを否定するつもりはありません。

ですが、お金だけで幸せを定義できないんです。お金がないことで苦しんでいる人がいる一方、お金を持っていても苦しんでいる人がいるのですから。

つまり、個々人の満足感や幸福度を定義するのは、お金ではありません。

モノを持つこと≠幸せ

では、幸せを定義するのはモノでしょうか。

私個人の意見を述べさせていただくとすれば、モノではありません。1番危険な考えであると考えています。なぜなら、消費の悪循環から抜け出せなくなるからです。

もちろん、生活する上で必要なモノは沢山あります。けれど、必要以上のモノは要りません。モノを持つことは管理することですので、モノの数に比例して管理の負担が増えていきます。

場所もとりますし、どんどん後回しになって、最後には景色と一体化するんです。景色と一体化したモノは、それが不要と気づくまで居座り続けます。

不要と気づくのは、引越しや遺品整理、そしてミニマリズムに目覚める時。その時まで無用なコストを払い続けるんです。

無駄なコストを支払い続けるために、働く必要はありません。

ミニマリストのお金の使い方

では、幸せとは何でしょうか。私は充実した時間だと考えています。

例えば自身の成長や健康維持、他者への貢献、良い人間関係の構築、良い習慣の継続など、自分が生きていることを満足できる一瞬一瞬の時間です。

この充実した時間にお金を投じられるか?ではないでしょうか。

お金そのものには、お金という価値しか存在しません。多かれ少なかれ、お金はお金としか機能しません。

お金によって不幸になってしまうのは、モノや欲望に誘惑され消費することが先行しているからです。お金を消費すれば、それだけ働く必要がありますし借金も増えかねません。

お金をどう使うかはその人次第ですが、消費するだけではいずれ底が尽きるでしょう。そして後悔するはずです。

必要以上の執着を手放すことで、無分別な出費は抑えられますし、節約にも繋がります。

かく言う私も、沢山の無駄なことに大切なお金を投じてきました。今思えば、なんて馬鹿なことをしてきたんだろうと後悔しています。

そんな馬鹿な経験をしたからこそ、自身の成長や健康、貢献、人間関係、といった良い習慣作りが大切なのだと、ミニマリズムな生活で気付かされました。そして現在は節約に徹しています。

お金を稼ぐことは簡単ではありませんし、時間が伴います。

楽して稼げる方法なんてないんです。みんな努力や苦労し、一生懸命に働いているからこそ、お金を得られているんです。

仕事の後に、気の合う仲間と飲むビールが美味い。分かります。

疲れた時や凹んだ時に食べる甘いモノが美味い。分かります。

そういった幸せな時間にお金を投じるべきです。

幸せというのは、自分が生きていることを満足できる一瞬一瞬の時間なのですから。