こんにちは、YAITAです。
聴覚過敏を抱え、ミニマリズムと禅の思想、iPadの3つを愛する40代ブロガーとして活動しています。
今回は「ミニマリストと貧乏(貧困)」について書いていきます。
ミニマリストは貧乏(貧困)なだけ?
“買わない”んじゃなくて、“買えないだけ”だよね?
といった意見があります。
ミニマリスト全てが貧乏とは限りません。ごく一般的な収入を得つつ、ミニマリズムな生活をされている人はいるでしょう。お金持ちのミニマリストだっているはずです。
とはいえ、全く反論できないのも事実です。なぜなら、私自身お金持ちではなく、どちらかと言えば貧乏ですから。私には高級車やハイブランドの洋服を買う金銭的余裕はありません。貧乏・貧困を理由に買えない生活を送っている人もいるでしょう。
けれど、貧乏であるほどモノが少ないのではなく、モノで溢れる生活になり得ます。
貧乏・貧困であるほどモノは増える?
もちろんモノを沢山所有するお金持ちの家庭もありますが、貧乏・貧困であるほどモノで溢れる生活になり得ます。
ミニマリストしぶさんの著書「手放す練習_ムダに消耗しない取捨選択」に、以下の一説が綴られています。
「ドラマの演出では『貧乏人の家』にはモノをわざと増やし、余白をなくすことで『貧困』を表現する。逆に、豪邸のセットではモノを減らし、何も置いてない床の面積を増やして『余裕』を表現する」
出典:手放す練習_ムダに消耗しない取捨選択
なぜ貧乏・貧困であるほどモノが増えるのでしょうか。それは精神的余裕、ストレスの問題です。
ストレス発散や必要なモノのためにモノを買い、買ったら管理する手間が増え、とりあえず部屋の隅や収納に片付ける。収納が一杯になると新たに収納を買い足し、モノを片付けていく。
収納が増えていくほど部屋は圧迫され、精神的余裕がなくなりストレスになる。そして、ストレス発散のためにモノを買うといった悪循環を繰り返していくと、部屋はモノで溢れていくんです。
現に、毎月のように服を買っていた私のクローゼットは、ハンガーラックに収まらない服でワケが分からないほど山盛り状態でした。それでも「服が足りない」という欲望を抑えられず、買いたしていたんです。
当時を振り返ると、確かに精神的余裕は全くありませんでした。
精神的余裕はお金で得られない?
では、精神的余裕はお金持ちなら得られるのか?というと、決してそうでもないようです。
例えば、とあるベンチャー企業の社長が得度したお話とか、年収1,000万以上を稼いでいた人が、母の死と離婚をきっかけに人生の焦点を見直し、ミニマリストになったりとか。
私には分かりませんが、お金持ちにはお金持ちなりの苦労をしています。つまりお金持ち=必ず幸せとは決して限らないのです。
ミニマリズムにお金持ちや貧乏は無関係
ミニマリズムにお金持ちや貧乏人といったステータスは関係ないと考えています。ミニマリズムは誰にでも始められるライフスタイルの1つであり、そこにお金の概念は関係ないからです。
ミニマリストとは、必要なモノだけを厳選し、大事に残す人達を言います。大好きなモノだけに囲まれるシンプルな生活を送ることで精神的余裕を持ち、心を豊かにしているんです。
貧乏な人がより良い生活を送るため、ミニマリズムを生活に取り入れることは、素晴らしいことではないでしょうか。
よりお金を節約できますし、よりモノを大切にできますし、より暮らしを豊かにできますし、より精神的な余裕が持てます。
私はどちらかと言えば貧乏人ですが、それを恥ずかしいとは思っていません。自分のやりたいことに集中できる環境を得られ、自分のやりたいことができているのですから。
今の生活を楽しんでいますし、とても幸せ者です。
幸せはモノではなく“目に見えないモノ”
幸せは、心と同じく“目に見えないモノ”だと考えています。
モノを買うことで満足感や充足感から幸福を感じることはあっても、その幸福度は永遠に続きません。すぐに次なるモノを欲しがるのが人間です。
それを手に入れるために働き、手に入れたらまた次のモノが欲しくなり、またお金を稼いでは買うを繰り返すうち、モノが増えていきます。
それなら、愛情や友情・他者への貢献・コミュニティ・自分への投資・新たな体験といった物事に使うことで、より高い充足感を得られ、幸せを感じられると考えます。
他者への感謝を忘れず、笑顔で過ごしたいものです。
ミニマリストはモノを手放すのではなく、大事なモノを厳選し残す人です。決して、それが逆になってはいけません。